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2012年9月10日 (月)

民主、自民党総裁選の面々が報道され、
それにまた維新の会の国政進出で
政治の世界もヒートアップしております。

このご時世、本気で考えたい。

だって昼時のニュース観てて
各候補者の所信表明を聞いてて強く強く感じたけど、
結局は「誰がやるか」合戦なんだな、、、と。
それは政党含めて!

これじゃ何回やっても変わりわせん!

ここ最近の政治は
政権与党が変わったりで、
変化の兆しは見えたものの
何時の間にやら三党合意なる手段で
国民に約束した事を御座なりにし
国民の大半が求めてもいない、

消費税増税
原発再稼働
などなど…。
政党政治もあったもんじゃない。

実権を握ると何をするかわからない。
この罪は大きい。

報道と我々国民!

「誰がやるか」ではなく

「何をするか」

という観点と論点をこの機会に
今一度持ちたいものである。

今の政治をさせている責任は

報道と

我々国民にあるのだから。


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コメント

意思がなければ、意思に注目が集まることはない。
選挙を何度も繰り返しても、意思選びにはならない。
単なる肉体の選出におわる。品評会か。

意思のない所には、方法がない。
意思は未来構文の内容である。
日本語には時制がない。
日本人には未来時制の内容がない。

西洋の神は意思と力を示す。
ソドマとゴモッラの町は、焼かれて無になった。
日本の神は、出雲に集まって談合をしている。
決められない政治の始まりである。個人 (個神?) 判断ができない。

意思がなければ責任がない。
殺意がなければ、人は死んでも殺人罪には問われない。
死刑執行人のようなものである。

日本人には責任がない。
この国がひっくりかえった時にも、責任者は出なかった。
意思がなければ、責任もない。
日本人は、責任者・指導者には適していない。
だから、指導者選びは難しい。

意思はなくても恣意がある。
恣意は文章にならない。それで、辻褄の合わせられない腹案となる。
だから、人々の信頼は得られない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/

投稿: noga | 2012年9月10日 (月) 22時34分

ところでnogaさんの仰ると事の本題は
なんでしょうか。
一番の率直な疑問です。

日本人が好きですか?嫌いですか?
日本人ですか?日本人じゃないですか?
ここで生きていきますか?
それとも
海外で生きているのですか?

また、
nogaさんの仰る「時制」とは
具体的に例えるとなんなのでしょう?
教えていただきたいです。

投稿: Kism | 2012年9月11日 (火) 07時38分

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